【予告:9/30-16:00予約開始】MFH 1/12 コルベット C1 LM 1960 [K869]
【予告:9/30-16:00予約開始】MFH 1/12 コルベット C1 LM 1960
[K869]
販売価格: 95,000円(税別)
(税込: 104,500円)
希望小売価格(税別): 105,000円
内容
1960年のル・マン24時間レースで闘ったアメリカン・マシン「C1 LM 1960」の1/12スケール・フルディテールキットです。
仕様
| 発売予定日 | 2026/10 |
|---|---|
| ブランド | モデルファクトリーヒロ(MFH) |
| スケール | 1/12 |
| 商品名 | C1 LM 1960 |
| シリーズ | 1/12scale Fulldetail Kit |
| 品番 | K869 |
| JANコード | 4580011508697 |
| 商品コード | 508697 |
| 仕様 | マルチ・マテリアル 未塗装組み立てキット |
詳細
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本商品は2026年10月下旬頃発売予定の予約商品です。商品の発送はキット発売/入荷後となります。
ご予約数が一定数を超えた場合は予約段階で商品は完売となり、ご注文いただいたタイミングによりましては、ご注文をお断りする場合がございます。予めご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

●K869 - 1/12scale Fulldetail Kit : C1 LM 1960
1960 LM 24hours
Team B.S.Cunningham
#3 J.Fitch / B.Grossman - 8th [GT5.0 class winner]
#1 B.Cunningham / B.Kimberly
#2 D.Thompson / F.Windridge
・1960年ル・マン24時間レースに参戦したTeam B.S.Cunninghamの3台のC1をモデル化。中でも、J.Fitch / B.Grossman組の3号車は総合8位に入り、GT5.0クラス優勝を飾りました。
【 C1 LM 1960について 】
1960年ル・マン24時間レースで闘った"C1 LM 1960"。白いボディに青いストライプを纏ったアメリカンV8搭載のこのマシンは、単なる「クラス優勝車」というリザルトの枠を超え、エースドライバーであった米国生まれのジョン・フィッチの人生、そしてアメリカ自動車レースの運命をも変えた、歴史的転換点の象徴なのです。
このマシンとジョン・フィッチの物語は、1960年の5年前、1955年ル・マン24時間レース、その絶望の夜から始まります。メルセデスチームのドライバーとして、モータースポーツ史上最悪の観客事故を目撃したフィッチは、「二度とこのような惨劇を繰り返さない」と誓い、自動車道路とレースの安全性向上に人生を捧げる決意を固めます。
第二次世界大戦中に戦闘機パイロットとして前線で見た「砂を詰めた燃料缶が銃弾を止めた記憶」から着想を得たフィッチは、衝撃吸収装置の開発に挑みます。自宅の庭で樽に様々な量の砂を詰め、中古車に自ら乗り込んで何度もわざと激突する「命がけの自爆テスト」を繰り返しました。こうして生まれたのが、高密度ポリエチレン製の樽型衝撃吸収材"フィッチ・バリア"でした。1960年代にアメリカの高速道路に初めて導入されると、これまでなら確実に死亡していた激突事故からドライバーを無傷で救い出しました。このシンプルな「黄色い樽」は、日本をはじめ世界中のハイウェイへと普及し、これまでに数万人以上の命を救ったと試算されています。
そしてフィッチは、レーサーとしての魂も捨ててはいませんでした。「モータースポーツを社会から拒絶されないものにするには、アメリカの技術で世界に安全と実力を証明しなければならない。」その熱い願いは、当時"玩具の車(Plastic fantastic)"と揶揄されていたコルベットを本物のスポーツカーへ育てようとしていた技術者、"コルルベットの父"ゾーラ・ダントフの思想と共鳴します。
しかし1957年、AMA(米国自動車工業会)が加盟自動車会社に対し、「レース活動全面禁止令」を発令します。これは、1955年ル・マンの悲劇と、増え続ける自動車事故を一因として出された指令でした。ワークス活動を禁止され、夢を絶たれたフィッチとゾーラが仕掛けたのが、「プライベーター作戦」でした。ゾーラは社内書類を細工し、「一般市販オプションパーツ」という名目で、レース仕様のV8エンジンや強化ブレーキを開発。そうして生まれたレース仕様のC1を、富豪であったブリッグス・カニンガムが「市販車」として購入、フィッチをエースドライバーに据えて"プライベーター"のカニンガム・チームを結成、1960年のル・マンへと持ち込んだのです。
フィッチにとって悲劇のレースから5年ぶりに迎えた1960年ル・マン24時間レース、サルト・サーキットは苛酷を極めました。カニンガム・チームの他の2台が雨のクラッシュやトラブルで次々とリタイアするなか、フィッチの乗るC1-3号車も最終盤に深刻なオーバーヒートに見舞われます。リタイアすれば、コルベットのチャレンジもここで終わる― その極限状態のなか、チームの放ったアイデアが、「液体は違反になるが固体である氷をピットインのたびにエンジンルームへ詰め込んで冷やす」という奇策でした。満身創痍のC1-3号車は24時間走り続け、ついにチェッカーフラッグを受けます。結果は総合8位・クラス優勝。上位7台がすべてヨーロッパのプロトタイプ(フェラーリとアストンマーティン)だった時代に、市販車ベース重量級のC1がそこに肉薄したという事実は、アメリカメディアを「ヨーロッパの洗練をアメリカのタフさが打ち破った」と熱狂させ、アメリカ車へのコンプレックスを消し去る偉大な金字塔となったのです。この"アメリカによる勝利"は、後につづくC・シェルビーのコブラや、フォードによるル・マン総合優勝への挑戦へと受け継がれていくのです。
そしてフィッチの"安全への祈り"と"スピードへの渇望"の物語には続きがあります。フィッチが手掛け、コネチカット州に建設された"ライム・ロック・パーク"は、「世界で初めて設計段階からドライバーと観客の安全を最優先に考えて作られた近代サーキット」の先駆けとなりました。1966年には、"フィッチ・フェニックス"という公道用GTカーを設計、1台しか生産されず量産は幻となりましたが、安全性も考慮された先進のスポーツカーでした。さらに2003年、86歳になったフィッチは、ボンネビル・ソルトフラッツでメルセデス300SLに乗り地上最高速記録にチャレンジする姿を見せ、多くの人を感動させました。また、レース後売却され行方不明になっていたC1の3号車は、熱狂的なコレクターによって発見され、フィッチが乗った当時の美しい姿へと完璧にレストアされました。そして2010年のル・マン50周年記念イベントにおいて、93歳のフィッチがこの3号車に乗ってデモランを行い、観客から喝采を浴びました。
2012年、ジョン・フィッチはライム・ロック・パークに程近い自宅にて、95歳の生涯を閉じました。彼は生前、「自分の作ったトロフィーやレースの記録はいつか忘れ去られる。だが、あの道路の黄色い樽は、私の名前を知らない誰かの明日を今も守っている。これ以上の満足はない。」と語っていました。 過酷なレースを戦い、凄まじい悲劇を乗り越えて「命の守護者」となり、晩年は少年のような笑顔で塩の平原を疾走したジョン・フィッチ。彼の名は、モータースポーツが持つ「スピードの魔力」を愛し、同時に「命の尊さ」を何よりも尊重したジェントルマン・レーサーとして、永く語り継がれていくことでしょう。
【 キット概要 】
■ ホワイトメタル、ウレタン樹脂、金属挽き物、エッチングパーツ、ゴムタイヤ、シルクスクリーン印刷デカール、各種コード類を使用したマルチ・マテリアル・キット。
■ ホイール、ヘッドライトリム、ホイールシャフト/ナット、マフラーエンドはアルミ挽き物製。
■ フロントボンネットとリアトランク、ドアは開閉可能で、完成後も内部構造を見ることができます。
■ 車内フロアはシート地素材が同梱、フロアの素材感をリアルに再現できます。
■ ゴム製タイヤはメーカーロゴ印刷済み。




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